浅草寺縁起

時は飛鳥時代、推古天皇36年3月18日の早朝、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の兄弟が江戸浦に漁撈中、はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得した。郷司土師中知(はじのなかとも)はこれを拝し、聖観世音菩薩さまであることを知り深く帰依し、その後出家し、自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。

大化元年、勝海上人(しょうかいしょうにん)がこの地においでになり、観音堂を建立し、夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、以来今日までこの伝法の掟は厳守されている。

広漠とした武蔵野の一画、東京湾の入江の一漁村にすぎなかった浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、平安初期には、慈覚大師円仁さまが来山され、お前立のご本尊を謹刻された。

  • 1月 浅草寺 初詣

  • 2月 針供養

  • 3月 金龍の舞

  • 8月 万霊燈籠供養会

  • 雷門 (風雷神門)


    天慶5年平公雅(たいらのきんまさ)によって創建され、その初めは駒形付近にあった。

    鎌倉時代以降現在地に移建され、その時に初めて風神・雷神が奉安されたといわれる。

    駒形堂


    『浅草寺縁起』によると、推古天皇36年3月18日の早朝、檜前浜成(ひのくまのはまなり)・竹成(たけなり)の兄弟が江戸浦(現隅田川)にて漁撈中、1躰の仏像を感得した。

    郷司土師(はじの)中知(なかとも)はこれを拝して、聖観世音菩薩さまのご尊像と知り、自ら出家、屋敷を寺に改めて深く帰依したという。

    鎮護堂


    通称「お狸(たぬき)さま」と呼ばれ、火防・盗難除けの守護神として信仰が厚い。

    伝法院


    浅草寺の本坊。

    安永6年建築の客殿・玄関や明治35年築の大書院、浅草寺貫(かんす)大僧正のお居間などがあり、「伝法院」はこれらの総称。

    弁天堂


    本堂の東南、弁天山と呼ばれる小高い丘に建つお堂にお祀りする弁天さまは、白髪のため「老女弁財天」と呼ばれ、「江の島」「布施」とともに関東三弁天の一つに数えられる。

    縁日の「巳の日」にお堂の扉が開き、法楽が営まれる。

    宝蔵門 (旧称 仁王門)


    応永縁起によると、安房守平公雅が武蔵守に補任された天慶5年その祈願成就御礼として建立された。

    以来、数度の火災により炎上、その都度再建された。

    五重塔


    天慶5年平公雅が本堂と共に建立したのを初めとして、その後数度倒壊、炎上に遭ったが、その都度再建された。

    お水舎


    昭和39年の建立で、浅草料理飲食業組合の寄進による。

    二天門 (重要文化財)


    観音さまのお説法やご活躍に不断に讃嘆協力されている仏さま方を「影向衆」と申し、これらの仏さまをお祀りするお堂。

    本堂


    昭和33年10月、全国ご信徒のご力添により再建された現本堂は鉄筋コンクリート、本瓦葺であり、昭和20年3月10日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光公建立)と同形態である。

    薬師堂


    慶安2年、江戸幕府第三代将軍徳川家光公の再建による三間四方のお堂は「橋本薬師堂」と呼ばれ、浅草寺に現存する古建築の一つ。

    淡島堂


    元禄年間に紀州加太(かだ)の淡島明神を勧請(かんじょう)して淡島堂は建立された。

    現在の淡島堂は旧影向堂(戦後の仮本堂)を移築・改修したもので、本尊は阿弥陀如来。

    影向堂


    観音さまのお説法やご活躍に不断に讃嘆協力されている仏さま方を「影向衆」と申し、これらの仏さまをお祀りするお堂。

    銭塚地蔵堂


    昭和39年再建の堂内に、四角い石塔の上に石の六地蔵尊を祀る。

  • 鉄道

    東武スカイツリーライン:浅草駅より徒歩5分 東京メトロ銀座線:浅草駅より徒歩5分 つくばエクスプレス:浅草駅より徒歩5分 都営地下鉄浅草線:浅草駅A4出口より徒歩5分

    バス

    都営バス 京成タウンバス 台東区循環バスめぐりん ※浅草寺に駐車場はございません。台東区雷門地下駐車場ほか、周辺の駐車場をご利用ください。